共同創設者について Co-founder
林心笛は台湾嘉義市に生まれ、小さいごろから商売をする両親の影響を受け、8歳から両親を手伝い、20歳から事業を始めました。飲食業、化粧品、皮製品・・・、数十年にわたって商業界で走り回り、台湾ドル億以上の財を築きました。しかし、偶発的な重病のせいで、彼女の多彩な人生に陰鬱な影をもたらし、危うくすべてが失われるところでした。
生まれつき意志が強い林心笛は、決して運命と諦めず、この思いも及ばない病気になおさら屈服しなかったのです。様々な治療法を試しても施すすべがないと言われた時、彼女は海外の友人に助けを求め、そして、養生野菜湯、発芽玄米湯と出会いました。この出会いのおかげで、林心笛は再び生きる希望を取り戻し、さらに栄養補助食品の世界へ足を踏み入れるきっかけとなり、その後、彼女は養生野菜湯シリーズを押し広める「野菜大使」になろうと志を立てました。
これまで商売上先見の目があり、比類なき優れた見解を持つ林心笛が、突然商売の路線を変えました。彼女は日本から養生野菜湯、発芽玄米湯などの栄養補助食品を導入し始めたその主な理由は自分の健康のためだけれども、多くの人々に本当の体に良い栄養補助食品を体験してほしいという願いもあります。胸いっぱいの情熱をこめて、彼女は自費で日本の細胞学専門家の立石和博士に協力を求めに日本へいきました。昔から「渓谷中の渓谷」と呼ばれる日本長野県の有機野菜果実園で、自然耕作法を用いて有機野菜と玄米を作り、また、日本政府に認可された食品工場を設け、真空カプセルで急速冷凍、鮮度を保つ高度技術を自主開発し、最終的に「精華包」という高品質の養生野菜湯と発芽玄米湯が完成されました。
この二つの製品は、国内栄養補助食品市場、消費者需要を詳しく調査せずに、また、綿密な販売企画もないうちに、ただ自分の健康に、かつ飲みやすいものとして促進開始しました。こんな状況の中に、台風11号(ナーリー)が襲来。常景のすべての在庫、保存書類、ソフト及び設備が水の泡となってしまいました。こんな一連の出来事で家族からの支援が受けられなくなり、商売上失敗したことのない林心笛にとって大きな打撃でした。
しかし、自分自身の健康のため、病魔に取りつかれている友人たちのため、亡き父親との約束を守るため、さらに日本の細胞学者の立石和博士及び農家との契約を履行するために、林心笛はためらうことなく健康促進の道を続けました。それから社名を「常景国際健康事業」と改名し、真の「立石和博士の養生野菜湯と発芽玄米湯」を確実にすることを自分の生涯の目標として定めました。また、もっと多くの栄養補助食品を導入する計画を立て、健康に関連する様々なイベントを開催し、中華世界保養心身霊発展協会を設立、長寿村の建設企画など・・・、こうして彼女は心の中で描いた自分の世代と次世代のあるべき未来図を一歩一歩と構築してきました。